「どで~ん」と、我が家のウッドデッキに居座る草食動物。
とくに何もすることなく日向ぼっこをしている。
彼の名前は「ピエール」
三歳の雄ヤギである。
草刈りのために我が家に連れてこられたのだ。
草刈りというのは実に大変なのだ。特に夏場は重労働である。 そこで思いついたのがヤギの導入である。 音もなく燃料も要らずに草むしりをしてくれるなら、これほど良いものはないだろう。
さっそく私はヤギを手配することにした。
一ヵ月前
私はとある高原の牧場にヤギを見に行った。
牧場内には見渡す限りのヤギヤギヤギヤギ・・・。
こんなにたくさんのヤギを見たのは初めてだ。
そこらじゅうヤギだらけ。ざっと見渡しただけで100頭以上はいるだろう。
さて、どれにしようか・・・。
かわいい子ヤギもいる。
私は子ヤギを指さしてスタッフに尋ねてみた。 するとスタッフ曰く、
「あんなちっちゃいのは草刈りの役にはたたんよ。」
たしかにその通りだ。子ヤギのかわいさに目的を見失うところだった。 私はペットを探しにここに来たわけではない。 有能な「草刈り機」を求めているのだ。
ならばこれはどうだ! 凄い面構えである。
只者ではない雰囲気だ。
しかし、これは私には扱いきれないだろう。去勢していない雄ヤギは避けたい。
無数のヤギの中に一頭、ひときわ大型で野性的な顔立ちのヤギがいる。
正面にいるアイツだ。他のヤギと違い馬のような毛並みで体格も立派だ。 あのヤギについてスタッフに尋ねてみると、
「あぁ、あれ? あれくらいのサイズが除草には最適だね・・・。」
スタッフは続けて、
「しかもあなた、あんなのが自宅にいたらすごいっしょ!」
このヤギは人によく馴れていて、呼ぶとこちらについてくる。
ちょっと大きすぎるような気もするが、 従順ならば問題ないだろう。
このヤギに決めよう。
名前は・・・、
そうだな、「ピエール」と呼ぶことにしよう。
私は家に戻り、ヤギを飼う準備を始める
さっそく、ヤギ小屋の制作に取り掛かる。
二年前まで使っていた古いカラス小屋を分解してヤギ小屋に仕立て直した。
あとはあのヤギを迎え入れるだけだ。
実に楽しみである。
この時の私は、その後に訪れる悪夢のような日々を想像すらできなかった。
一週間後、ヤギを迎えに牧場に向かう
小屋で牧草を食べていたピエールを見つけ首輪を付ける。
しかし、前回はおとなしく従順な様子のピエールだったが、 ロープに繋がれた途端に力いっぱい抵抗する。
一抹の不安を覚える…。
仲間のヤギたちが心配そうに見送る。
ヤギはこういう異変に非常に敏感なようだ。 草食動物ゆえの本能だろう。
しかし、連れ帰る道中はおとなしい。
これなら問題はなさそうだ。
大丈夫だろう。
だがしかし・・・、
家に到着しピエールを降ろしたところから雲行きは怪しくなる。
ピエールはロープに繋がれることを極端に嫌がり、歩いてくれないのだ。
こうなるともうダメ。
こんなに体重の重い動物に座り込みされたらどうしようもない。
なんとか機嫌をとりながらウッドデッキまでたどり着き、とりあえず繋いでおいた。
その間に私は汚れた車を掃除したりしていた。
そして、ピエールの様子を見に行くと衝撃の光景が・・・。
「ピエールが消えた!!」 何と! 革のリードを引きちぎり逃走したのである。
「これはヤバイことになった!」
いくら温厚な性格のヤギとはいえ立派なツノも備えた大型動物である。 こんなのが街の方まで逃げていったらそれこそ大騒動だろう。
この時、私の頭の中は「やばいやばいやばい」という言葉で埋め尽くされる。 周辺を探すのだが見つからない。私は焦った。
すると、近所から子供たちの声が聞こえてくる。
「わーっ! ヤギだー!」
あっちだ! 私は子供の声のする方に全力で走った。 するとそこには、子供たちとたわむれるピエールの姿があった。 私は安堵した。心底ほっとした。
子供たちにお礼をしてピエールを連れ帰ろうとするも、座り込んでまったく動かない。私が困り果てていると子供たちは、「こっちにおいでー」とピエールに声を掛ける。すると何と! まるで魔法にかかったようにピエールは立ち上がり、スタスタと歩き始めたのだ。そして結局、子供たちに我が家までピエールを先導してもらったのだ。
そういえば、このヤギは幼少のころに小学校で飼われていたと聞いた。だから子供たちには親近感があるのだろう。
今度は大型犬用の金具とクライミング用のロープを用意した。
これなら大丈夫だろう。
草むしりをしてほしい場所に繋いでおく。
地面に杭を打っても抜いてしまうだろうから、頑丈な柱に係留するしかない。
こうして係留場所を転々と変えながら数日が過ぎた。
このヤギを導入するにあたり誤算だったのは、係留を極端に嫌がることに加え1ミリも言うことを聞いてくれないこと。さらには予想外の体重とパワーだったことだ。
先日、世話を頼んだ近所の爺さんは気の毒にも、ロープを握ったままピエールに引きずりまわされていた。 爺さんは「あのヤギは強すぎる、勘弁してくれ」と、連呼していた。 こうして、このヤギを扱えるのは私だけとなった。
「ヤギはアホだ」という人もいるがそれは間違いだ。ピエールは賢い。 私のことをよく観察している。私がリードの先の係留金具を外す瞬間を観察しているのだ。 金具を外したのを見極めると、それまでの温厚さが豹変し走りだす。 その度にピエールと私の綱引き大会となり、最後はピエールの機嫌をとりながら移動させる。こんなことの繰り返しなので毎日が重労働である。 それよりも制御のきかない大型動物と暮らすのはストレスが溜まるものだ。留守中はピエールのことで頭がいっぱいである。
これなら草刈りは自分がやった方がどれだけマシだろうか? 彼が小学校から返却された理由もなんとなく察しがつく。
ここで牧場のスタッフの言葉を思い出す。
~「こんなのが自宅にいたらすごいっしょ!」~
・・・うん。確かにすごい。別の意味で。 少なくとも名馬を誇らしく思うようなそれとは違う。 文字通りヤギに振り回される毎日を味わっている。
でも、せっかくだから飼育を続けたいとは思う。 ピエールにはかわいい一面もあるのだ。
だが、そんな思いをよそに再び事件は起こった。
あの桜の幹に係留したときのことである。
ひどく寂しがり屋の彼は、家から離れたところに繋がれたのが耐えがたかったようだ。
朝、コーヒーを飲みながらピエールを眺めていたそのとき、 ピエールが後ずさりした次の瞬間、助走をつけて突進した。 「ブッッチーンッ!!」という鈍い音とともに係留金具が吹っ飛び、 ピエールは外に向かって走り出したのだ。 私は飲んでいたコーヒーを吹き出しながらも直ちに後を追う。
私は久しぶりに全力で走った。 逃走するピエールを追う私はかつて「50m、6秒台」の俊足である。すぐ先で追いつき何とか捕獲した。 ピエールを連れ帰る途中、近所の人が珍しそうに話しかけてくる。
「それは鹿ですか?」
「いいえ、ヤギです・・・。」
近年の日本ではあまり耳にすることのない会話である。
家に戻り係留金具を確かめてみると、 金属の太い部分が破断していた。
繰り返すがこれは、大型犬用の金具である。
これを目の当たりにした私はピエールの飼育を完全に断念し、牧場に返す決断をした。
しかし、返すのは一週間後だ。
その間は何とか事故が起こらないように細心の注意を払おう。
それからは仕方なく、居間のそばのウッドデッキに係留することにした。 結局、ここが彼にとって最もお気に入りの場所となり、 牧場に帰るまでの5日間はここを占拠するのであった。
恐る恐る様子を見に来たのは野良猫のミケ。
「にゃんだぁ!? アレ!?」
自分の縄張りに突如現れた巨体に困惑している。
このヤギは幼少のころは小学校で甘やかされ、牧場では牧草を与えられたためか、 積極的に地面の草を食べることはあまりしない。しかも草の種類にはこだわりを持っているようで。 食べるものが限られる。
特にこの野バラが気に入ったようで、彼はよくこれを所望する。
結局、私が毎日草刈りをし、その中からピエールが好きそうな草を選別して与えることになった。
ヤギに草刈りを「させる」という当初の目的は180度別の方向に進み、
ヤギに草刈りを「させられる」ことになった。
泣きたくなる・・・。
ピエールは図体に似合わず寂しがり屋だ。
「ビェ~、ビェ~、」と頻繁に鳴いて私を呼ぶ。
泣きたいのは私の方だ。
その度にこうして撫でてやる。
もし放置すると・・・、
周囲の構造物に助走をつけて頭突き!
唐突に破壊行為を始めるのだ。
ちなみにこの時点で、ヤギ小屋は彼によって破壊されているのであった。
確か三日目のことだったと思う。
私の苦労をよそに近所の人は大喜びだ。
たしかに、普段のピエールはおもしろいヤギである。
皆、珍獣を見るかのようにおもしろがり、そして撫でまわし、 ホクホクした様子で帰っていく。
特に近所の子供たちからは大人気となった。 代わる代わるエサをやりに来る子供たち。 ピエールも慣れてきたようで楽しそうだ。
「ここの暮らしも悪くないかも♪」
そう思いはじめているころだろう。 そりゃそうだ。何の苦労もなく食べ物が目の前に運ばれてくるのだから。 しかも皆が自分にやさしい。
しかし、もうすぐお別れだ。
あんなに苦労した日々だったが、いなくなると思うと寂しいものだ。
2019年4月6日公開