5月9日 午前6時50分
いつものようにお父さんが戻ってくると、巣の中のヒナが身を乗り出した。ずいぶん成長したように見えるが、まだ巣から出てこないので歩くことはできないのだろう。現時点でヒナが何羽いるのかも掴めない状況である。
5月12日 午前6時30分
朝からヒナが巣から出て大きく羽ばたいているではないか。3日前まで立ち上がることもなかったのに。
ヒナは二羽いるようだ。歩けるようになると両翼の羽ばたきもできるようになるので、急に成長したように見えるのだろう。
5月14日 午前8時10分 ヒナは巣から出て鉄塔のアームにとまっていた。
眼下の森を見渡し、巣立ちをイメージしているのかもしれない。
お母さんが戻ってきた。
お母さんはヒナのお尻に顔を寄せているが、これはヒナのフンをクチバシでとって除去しているのだ。親ガラスの習性であるが、本来は巣の清潔を保つための行動なので、今は必要ないはずだ。癖になっているのだろう。
お母さんの期待に応えるように、大きく翼を広げ羽ばたき運動をしている。とりあえずこの子ガラスを「長男」と呼ぼう。
そして、巣に残っている子ガラスを「末っ子」と呼ぶことにした。
長男は今にも飛び立ちそうに見えるが、この姿勢から飛ぶことはない。鳥は飛び立つ瞬間に、両脚で高く跳躍する必要があるからだ。
5月14日17時 結局、巣立つことなく夕方を迎えた。
カラスの巣立ちは、ヒナが巣から出歩くようになってから2-3日はかかるのだ。
翌朝
5月15日 午前5時5分
巣立ちは早朝におこなうことが多い。私は早起きをして観察を開始した。曇りがちの天気だが、風は無く巣立ちには適した朝を迎えた。
お母さんは鉄塔の下で待ち構えている。ハシボソ夫婦も今日が本番という認識なのだろう。気合がうかがえる。
長男はすでに巣から出てアームにとまっていた。右側で見守るのはお父さんだ。
長男はアームの先端に向かってヨチヨチと歩きだした。
時々、下を見ては緊張しているようだ。鳥は高所恐怖症とは無縁の生き物だが、巣立ち前のヒナはそうでもないのだ。
いよいよアームの先端に達した。
私はカメラのズームを引き視野を広げた・・・。
無駄な羽ばたき運動はせず呼吸を整えているようだ。私には分かる。これは巣立ちの覚悟を決めた瞬間である。
「飛んだ!!」
バサバサと羽ばたきながら旋回している。
そして手前の送電線にとまった。
見事に巣立ちを成功させた長男。
5月15日 5時20分のことだ。
お父さんは高い位置から様子を見守っていた。
末っ子は、巣から身を乗り出して様子をうかがっている。
カラスはヒナの時点で性格に大きな差がある。たいていは、冒険心と好奇心で先に進むタイプと、逆に非常に慎重で準備が全て整ってから行動するタイプがいる。末っ子は後者である。しかしどちらが自然界で生き残るかは、一概に言えないだろう。
休む間もなく、再び長男が飛び立った。
フラフラと飛ぶ長男をサポートするためにお父さんが飛んできた。
そして森の木々の間に降りていった。長男はもう心配ないだろう。
次は末っ子の番だ。
午前6時36分
アームまで歩いて出てきた末っ子。さすがにプレッシャーを感じているはずだ。
おや? クルっと向きを変えた。
そしてバタバタと巣に戻ってしまった。
~ 一時間以上経過 ~
午前7時40分
巣に籠り沈黙していた末っ子だが、再び巣から出てきた。
そしてバサバサと羽ばたき運動を開始。
何だかパワーアップしたようだ。しかしさっきも言ったが、この状態から飛び立つことはないので、これはただのパフォーマンスというか、イメージトレーニングである。
やっぱり・・・。
再び巣に戻って沈黙してしまった。
時々立ち上がってボルトをかじったりするが、これは焦りを紛らわすための行動だろう。
午前9時 お父さんが巣に戻ってきた。
末っ子は口を大きく開けてエサをねだっている。
しかしお父さんはエサを与えなかった。巣立ちを促しているのだ。
しばらく動きは無さそうだな・・・。
11時50分
ちょっと油断して目を離していた隙に、末っ子は鉄塔の下の方に移動していた。
しかしこれは、飛び立ったというよりも足を滑らせて落下したのだろう。末っ子はすっかりビビっているようで、微動だにしなくなった。
こうなるともう、しばらくは動かないだろう。ヘタすると明日までこの状態かもしれない。
「巣立ち」をどの時点とするかは判断が分かれるだろうが、今回はこの鉄塔から離れることを巣立ちと定義したい。したがって、末っ子はまだ巣立ちに至っていない、ということだ。
17時45分
末っ子はもう一段下のアームに移動した。その瞬間を見逃したが、これも落下したのだと思う。
さっきまで意気消沈していた末っ子だが、ここにきてやる気が再燃し羽ばたき運動をしている。もうすぐ夕暮れというタイミングなのに。今日はそこでゆっくり休んで巣立ちは明朝にした方が良いと思うが・・・。
末っ子はアームを滑り降りるように羽ばたいている。
バサバサと滑り降りてきたが、ここで急停止。
覚悟を感じる。
「飛ぶのか・・・?」
「あぁ・・・、」
皆(ハシボソ夫婦+私)の溜息が聞こえる。
お父さんがエサを運んできた。
「明日にしようぜ」
と、言ってるかのようだ。
「おっ?」
なんだか気合を感じるぞ。
次の瞬間・・・。
いきなりアームを滑り降りてきた!
さっきよりも速い!
そしてっ!
その勢いで一気に飛んだ!
なんという豪快かつ斬新な巣立ち。まるでカタパルトから発射されるように飛び立った。
5月15日 17時59分
「今日は無いな」と、観衆誰もが思ったところからの逆転劇である。
あの、臆病で慎重な末っ子が最後に見せた豪快な巣立ちであった。
2024年5月19日 公開