管理人ブログ2017年4月30日 アゲハチョウの羽化

アゲハの蛹

昨年の10月のこと。 近所の車のタイヤにアゲハ蝶の幼虫が貼りついていた。

どうやら向かいのミカンの木から降りて道路を横断し、ここに辿り着いたようだ。 そして蛹になる準備を始めていた。

こんな所で蛹になったら車が発進する度にグルグルと回転してしまうではないか。 そこで私は幼虫を引きはがし自宅に連れて帰った。

幼虫を移動させるには危険なタイミングであり、 実は蛹になってからの移動の方が安全なのだ。 だがそれを待っていては、いつ家主が車を動かすとも限らない。


アゲハの蛹

ギリギリ間に合ったようだ。翌日、用意した虫かごの中で蛹になった。 秋も深まるこの季節、蛹で越冬し春を待つのだろう。 当分は羽化しないだろうと思い、家の北側にある倉庫の窓際に置いておいた。

春型のアゲハの羽化はゴールデンウィーク前後である。 そろそろと思い、最近は毎日様子を観ていた。 そして昨日、内部が黒く透き通り羽化が近いことを知る。 私は急いで蛹を部屋に運んだ。

「明日は早起きして羽化の瞬間に立ち会うのだ」


アゲハの羽化

そして今朝、私は日の出前には起床し、急いで蛹の様子を見に行くが・・・。

残念。 私が起きるよりも遥かに早く羽化していた。 オスのナガサキアゲハだ。 羽は完全に伸びきり乾いていた。


アゲハの羽化

しだいに朝日が差し込んでくる。

日光を浴びるとこうして羽を微振動させる。すでに飛び立つ準備は整ったらしい。


アゲハの羽化

しかし、私が窓を開けると「ピタッ」と停止した。 どうやら外の空気がまだ冷たかったらしい。 昆虫は温度に非常に敏感で、自身の許容以下の温度になると、 急激に活性が下がり動きを止めてしまうのだ。 外の気温は12℃くらい。もう少し陽が高くなるのを待とう。


アゲハの羽化

だんだん気温が上がってきたが、彼はまだ寒いようだ。

私はそろそろ出掛ける時間なのだが、 このまま放置するわけにもいかず、 困惑している


アゲハの羽化

すると突然、羽を振動させ始めた。いよいよだ。


アゲハの羽化

だが、なかなか飛び立たない。

アゲハは通常、高さのあるところで蛹になり、 羽化後にさらに枝を上ってから飛び立つのだ。

そこで私は手に乗せてやり、巣立ちを促す。

アゲハ蝶は比較的警戒心が薄い。 この蝶は鳥にとって不味いものらしく、 そのため外敵が少なく温厚な性格になったのだ。 鳥に襲われにくいこの蝶に、外見だけを似せている蛾もいる。アゲハもどきだ。 そいつの模様はナミアゲハに似ているが、 まだ進化の途中なのか、擬態の完成形とは程遠く、 すぐに見破られる。


アゲハの羽化

しばらくすると、意を決して羽ばたいた。

そして私に礼を述べることもなく飛んで行った。

アゲハを見送った私は、ある遠い日々の記憶が蘇る。


蝶の標本

私は押し入れの奥から久しぶりに、あるものを取り出してくる。

なんてことないただの標本だ。


蝶の標本 ラベルに昭和62年8月6日とある。 そう、この標本は私が小学6年のときに制作したものだ。 今からちょうど30年前だ。

 そのころの私は蝶の採集に没頭し、小遣いやお年玉を貯めては日本各地を一人で巡り、 蝶を採集していた。 国内に生息する蝶はほとんど集めたが標本箱が高価なため買えず、 まともな管理もできなかった。 そして残ったのはこれだけだ。 これは大人になってから標本箱を購入し、 状態の良い標本だけを収納したものだ。 劣悪な環境で保管していたにも関わらず、 良い状態を保っている。当時の私の標本作製技術は卓越していたのだ。

 当時は採集だけでは飽き足らず、蝶の幼虫や卵を採集して育てたりもした。 そして蝶がいない冬の間は、蝶に関する書籍を読み漁り、 近県の昆虫館に足を運んでは知識を深めていった。 そのころの私は、「将来自分はこういう職業に就くのだ」と夢見たものだ。

 だが、転機はおとずれた。

 そのころ小学校に蝶のコレクターの先生がいた。 ある日私は、先生の家に招かれて標本を見せてもらった。 それは見事なものだった。 部屋中に置かれたタンスのなかには数えきれないくらいの標本箱が収納されており、 しかも同じ種類の蝶がズラリと並んでいた。 当時の私は大人のコレクターのパワーに圧倒され衝撃を受けた。 だが、どうしたことだろう。 衝撃を受けたが感動はなく、不思議なことに羨ましいとは思わなかったのだ。 当時は幼かったので自分の心境を分析できなかったが、 とにかくその時、

 「あぁ、自分のやりたいことはこれじゃないな」と、直感したのだ。

 今思えば、「生き物は収集して楽しむものではない」と、いうことだったかもしれない。

 それからの私は急速に蝶への熱意が冷め、 生きがいと目標を失った私はグレた。


蝶の標本

こうして標本を眺めながらセピア色の記憶をたどる。

だが蝶たちは色あせてなどいない、 あの時のままである。


蝶の採集は止めて正解だった。

だって、あのころ夢見た「こういう職業」など、ほとんど存在しないのだから。

そして残ったものといえば、この標本だけである。




余談だが、この標本のなかに一匹だけ、通常ではありえない個体が存在する。 気が付く人はいるだろうか。


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2017年4月30日公開

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